身体との対話

『かくれんぼ』と言えば・・・!?

 

 

もういいかい?

まぁだだよ。

 

もういいかい?

まぁだだよ。

 

もういいかい?

もういいよ。

 

 昔、僕が幼稚園とか小学生の頃、『かくれんぼ』といったら、

鬼担当の人が、

もういいいかい? と、伺う。

逃げる担当の人が自分の準備状況を加味して、 まだ、準備が整っていなかったら、

まぁだだよ。 と、返答する。

 

そして、少し頃合いを見て、 鬼担当が伺う。

もういいかい?

 

すると、逃げる担当が答える。

 

(いや)まぁだだよ。(そんなすぐには準備できないよー)

 

この時点で、鬼担当と、逃げる担当の準備にかける時間の感覚のズレがあります。

そして、鬼担当、今度こそはと、満を持して伺う。

 

(さすがに)もういいかい?(もういいでしょ。)

 

ついに、待望の返事がやってくる。

(だがしかし、逃げる担当からしてみたら、もう準備いいけど?まだなの?)

 

最後まで両者の時間感覚の差は埋まらないまま、その時がやってきた。

 

もういいよ。

 

満を持して、鬼が動き始める。

 

ひと昔前の、かくれんぼってこんな感じでしたよね?

 

対話の基本は質問と返答

 

 

もういいかい?

 

と、伺い、返答を待つ。

 

まだだよ。

 

と言われれば、待つ。

 

個人的な時間感覚のズレを認識する。

自分では、もういいかと思ったけど、まだだったか。

 

相手の心情を考慮しつつ、再度伺う。

もういいかい?

まぁだだよ。

 

そうか。まだか。

(自分の価値観の中の待ち時間を超えていることに少し憤りを感じつつ、"その対象が対象なだけに"、個人の価値観を押し通せないのは理解する)

 

再度、自分の中の価値観とそうでない価値観を考慮しつつ、伺ってみる。

もう、いいかい?

 

もう、いいよ。

(相手方も待っていたかもしれない。この両者の価値観のズレは徐々に埋めていくしかない。ましてや、相手が"自然"だとしたら、その自然に個人の価値観は強要できないのは、十分に理解できる、はず。)

 

もちろん、両者間で価値観を共有して、少しずつ擦り合わせていく事もあります。

ただ、相手が"自然"だと知った時点で、その変動制とある程度規則性への理解と、個人的な価値観での強要は期待すること以上はしないほうが、自然への敬意である事への理解はしている。

その価値観が合致する時が来るときもあります。

 

種を蒔いて次の日に芽がでる事は期待できない。

ましてや、種を蒔いて次の日に果実や実がなるなんてこともない。

むしろ、種も蒔いてないのに、実りを待っていてもその時は来ない。

 

種を蒔いて、栄養がしっかりその種に行くように雑草を手入れしながら、時期を期待しながら待つ。

 

もういいかい?

もういいよ。

 

自然には順序があり、時期がある。

 

わかってはいるけど、目の前に実りをまだかまだかと待っている人がいたら、どうにかしてあげたくなるのは、ただのエゴになってしまうのでしょうか?

 

強要や強制は、エゴの要素が強いかもしれません。

 

期待しながら待つ。

期待はエゴでしょうか?

んー。

 

希望を持つ。期待する。

 

そのあたりの違いは、まだ僕にはわからないですが、 エゴの片鱗でもあるかもしれない期待に対して、自然が少し寄り添ってくれる状況もあり得ないことではないと思います。

 

でも、それは、自然に対して待てるスタンスがあってこその結果であるのだと思うんですね。

 

こちらの価値観を押し通すだけではなく、相手方の価値観を共有しつつ共存していく。

 

もういいかい? と伺い。

相手の反応をみる。

まぁだだよ。

もう一度。

もういいかい?

もういいよ。

 

この繰り返しを何度も行ううちに、 お互いの理解が進むにつれて、

もういいかい? と もういいよ との間が少しずつ間隔が短くなってくるときがあります。

 

価値観や認識の共有

 

 

体、体内環境も自然環境と少し似ているところがあり、 自分だけの価値観だけでは、その通りいかない側面もあります。

 

自分 と 身体 

自分 と 体内環境

 

自分と身体・・・?

 

自分と身体って、自分の身体は自分でしょ。

 

と、思われるかもしれません。

 

ただ、ぎっくり腰や五十肩など痛みや不調を経験された方は、

自分の意思ではどうにもなってくれない体があるというのは、経験上、なんとなくご理解いただけるのではないでしょうか?

 

自分 と 身体 の価値観の違いや認識の違いが、不調や痛みだと、個人的には考えています。

 

昔はこんなんじゃなかった・・・

若い時はもっと身体が自由に動けたのに・・・

 

自分 と 身体 の関係性で言うと、【身体】のほうが【自分】に対してとても献身的だと思います。

様々な無理難題をクリアにしてくれています。

 

逆に【自分】はというと、身体は自分のものだと勘違いし、自分の身体は自分の言う事を聞くものだと思ってしまいがちです。

 

献身的な【身体】と自分勝手な【自分】との関係性が崩れた時に、不調という形で【身体】からのSOSが発信されます。

 

幸か不幸か、痛みや不調と出逢った時というのは、自分の身体と対話をする時期なんだと思います。

 

いきなり、身体との対話って・・・ちょっと意味が分からない・・・

 

そんな時は、「ちょっと意味が分かりません」と、当院へお越しください。通訳します(笑)

 

『身体との対話』終わりになります。

 

最後まで、読んでいただきありがとうございます(#^^#)

 

 

 

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