『Re;balance整体』=施術+α 

2020520184751.jpg

『受付周りが寂しいから』と気を遣って頂き、ご自宅で育てたお花を持ってきて頂いています。

 

いつも目に入る所にあるせいか、忙しい時や、一日終わった時などに、ふと癒されている自分がいます。

 

植物という自然が、人工的な屋内にあるというのが、なにかほっとさせてくれる気がします。

 

目から見える光景、耳から聞こえる音、鼻で嗅ぐにおい

 

これら全て情報です。

 

時間に追われている時、一日の終わりで少し消耗しているとき、

この花を見ると、少し気持ちに余裕が生まれるのは、少し消耗が緩和されるのは、

それは、この花が持ち合わせている《余裕・ゆとり》なのだと思う。

 

その《余裕・ゆとり》と対峙すると、その《余裕・ゆとり》を少し分けてもらった感じがします。

 

となると・・・自分の余裕の無さ、消耗というのを、分けてしまっているのかな??

 

そこは、お互い様で在れるように、僕も花にとって、有益なものを分け与える事ができる存在でありたいですね。


そっち と こっち

 
自分 と 相手
 
相手 と 自分
 
始まり と 終わり
 
終わり と 始まり
 
因果となると、一方向性になるけれど、
 
こっちの結果 と そっちの結果
 
すべて、相互、相補な関係ならば、双方向性
 
変わって欲しい と 願う、想うならば
 
こっちが変われば そっちも変わる
 
こちらがいくら、変わったと主張しても、
 
目の前の現実が、想い通りの変化でない
 
こっちは変わったのに、うんともすんとも・・・
 
 
何が 何処と 対応しているのか。
 
鏡 のようであれば、目の前の人の向かって左側の手が上がっている事を望む場合、
こちらは、右手を上げなければいけない。
 
左手をいくら上げても、目の前の現実は、向かって右側の手が上がるばかり
 
 
その対応は、場所なのか、同じ場所でも、目に見える表面なのか、目に見えない深層なのか
 
 
対になっていることもあるかもしれませんね。
 

徐々に。

 

4月、5月は何を発信すればいいのだろうか?

あまり、場違いな事は、かえってよくないだろうか。

かといって、時事的な事を掘り下げてる事は、自分がすることでもないし。と。

そういう時は、都合が良いのか悪いのか、書く事すら思い浮かばないものなんですね(笑)

 

最近になって、少しづつ、文章に起こしたい事、お伝えしたい事がまたちらほらと出てきました。

 

今までもそうでしたが、これからは益々、健康というものの在り方が問われます。

 

皆様にとって、有益な情報を提供することも、『整体』なのだと、花から教わりました。