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継続的な頭の重さ、身体の疲労感【感想】

継続的な頭の重さ、身体の疲労感【感想】
先生今日はありがとうございました。
 
依存的にならない距離感で治療をやって下さるスタンスが自分には非常に合っていると感じ、
時間をかけて行った甲斐があったと思えました。
また、あくまで自己成長が重要であるというお言葉は正に自分が良しとする価値観だったので、
納得感も得られました。
 
冒頭にお話しして下さった外部情報取得の下りは、今後自分の方向性を決める際の一つの指標になると思います。
忘れずに留めておきたいです。
 
肝心の治療でも、やって頂いてる最中に涙が出てきたりと、
深い変容を促して下さってることが体感でき、感動しました。
 
実際、終わった後に様々な出来事や変化の実感がありましたが、先は長いのであまり一喜一憂しすぎず、
自分の心身の軸が確立出来るようにやれることはやっていこうと思います。
 
治療と治療の間の自分の身の振り方や思考にこそ成果が左右されると考えているので、日々大事に過ごしてみます。
 
次回もよろしくお願いします。

 

そもそも、《不調》とは、何なんだろうか?

 

痛み、違和感、痺れ、重さ、疲労感・・・

いつもの調子とは違う感覚、それが、不調と言われるものだと仮定します。

 

では、いつもの調子とは、何でしょう?

 

『いつもの調子は、いつもの調子 ですよ。sweat01

いつもの?・・・・

『普通の時っ!annoy

 

こんな友達いたら、イライラしますよね(笑)

 

普段、何気なく出来ている事、寝る、起きる、食べる、動く。

自分がやろうと思ったら、その通りに身体が動く。

 

それが、普通 、それが、いつもの調子 と呼ばれる状態

 

その逆が、不調

 

となると、

 

自分がやろうと思ったのに、その通りに身体が動かない状態が、不調 とも言えそうです。

 

出来る事が当たり前

 


 

赤ちゃんの時の記憶は定かではないですが、

生まれて、仰向けで寝た状態から、寝返りも、立つことも、まだ出来ない

 

でも、目が見えるようになり、周辺に意識が向かうようになると、

 

モノを触りたい、けど届かない

 

お腹が空いた、でも自分では、食べものには近づけない

 

 

これは、自分の身体が思うように動かない状況です

 

ただ、この頃は、この状態を《不調》とは思わなかったですよね?

 

赤ちゃんの頃の記憶は定かではないですが、学生時代の運動や仕事を始めてから、新しい事を覚える時、

最初は、自分が思うように身体が動かない状況は、必ず通過します。

 

この時期も、この状況を《不調》とは感じていなかったと思います。

 

能力を獲得するまでは、それが例え出来ない事、イメージ通りいかない事であっても、不調とは思わない。

 

一度獲得した(と思っている)能力においては、それが出来なくなると、不調だと思う。

 

 

獲得した能力は、今後それが出来る事が当たり前のように思う。

 

当たり前が出来ない、当たり前がそうではなくなる、から混乱し不安になる。

 

 

能力を獲得するときの過程って、案外覚えていないんですよね。

 

何故、歩けるようになった?どうやって、立てるようになった?

 

立つ、歩くといった、一見当たり前に出来るような事は、一度、出来るようになったら、その後も不変的な能力なのだろうか?

 

もちろん、能力は積み上げていくものなので、一度ある程度まで積み上げたら、すぐに総崩れすることは滅多にないと思います。

 

ただ、獲得した能力で、日常を過ごしていく中で、その能力は当然の事になっていきます。

 

出来る事が当たり前になっていくんですね。

 

当たり前に出来る事であれば、例え、出来なくなったとしても、また出来るようにすればいい。話は簡単です。

出来なくなった理由が何であれ、また出来るようにすればいい。

 

でも、そう簡単に出来ない。

 

それは、当たり前に出来る事を、どうやって出来るようになったのかを、例外もなく説明がつかないからではないかと思います。

 

身体の中だけの問題でなく、様々な要因が重なって、たまたま出来ていただけのことなのかもしれません。

 

普通に立って動くことができる。

目が見えて、モノが見える。光が眩しいと感じる。

夜眠くなって、朝になると目覚める。

 

当たり前のように日々を過ごしていくと、その当たり前の凄さをあまり感じなくなります。

 

でも、その当たり前が、当たり前でなくなった時、急に不安になり、それがストレスになり、不調が重なる。

 

では、当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないとしたら、

 

当たり前ではない事 が、当たり前ではなくなった。  

 

それって、普通の事になりませんか?

 

単なる、文章上の言葉遊びになってしまいそうですが、

 

僕自身、不調 と 向き合うとき、

自分にとって、当たり前である事は、身体にとっては当たり前じゃない。という前提を置いて考えます。

 

日常の中で、自分たちにとっては、当たり前の様な事でも、身体からしたら、当たり前ではない事の連続です。

 

不調のシグナルは、身体からのメッセージです。

 

自分たちにとってみたら、痛み、重さなどの『不調』は、当たり前ではない事ですが、

 

身体からしてみたら、当たり前の事なのかもしれませんね。